パネルディスカッション「平和な未来をこどもたちに」
(2008年2月ピース☆フェスタ from くらしき 「地球平和フォーラム」にて)
中山(松山支部長&四国ブロック協議会長):
平和の問題が中心なので、お婆さまが沖縄で戦争を体験された子育て中の若いお母さんと、戦時中の体験をされた方に最初にお話をして戴き、何を先生方にお聞きしたいか、何が我々の思いにあるのかということを少しお話しを頂いた後、本当に大変な国際的な活動を世界を代表するような菅波先生に、現実に持ってる お話を戴こうと思います。その後は、流れに沿って進行させて頂きます。
アムダで仕事をしていた経験のある、参議院議員の谷合先生にお話し頂き、また積極的に国会活動、結核について熱心にしている橋本先生にお話し戴きます。
岸(司会):朝から自治体サミットが行われ、倉敷・市長さんに登場していただき、これからの平和な未来に向けてこんな活動をやっていきますと、具体的なお話もありました。
中山さんは四国ブロック協議会長ということで、中山さんご自身は何年くらい活動されていますか?
中山:私は約30年。世界連邦建設同盟を戦後いち早く立ち上げた香川豊彦という方の関わる仕事の中から世界連邦運動に出会いました。半世紀以上関わってる方と比べると、パネラーで出るまだ三十前のおかあさんと同様、まだまだこれからの青年です。昭和5年生まれ、77歳。戦争体験がバックボーンになっていると思います。日本の国は、非常に海外から信頼を受けていることを世界大会で痛感しました。自信を持ってがんばっていきたいです。
尾川:祖母は沖縄戦で戦場に巻き込まれて、両親も目の前で亡くし、弟を背負って逃げているときに後ろから銃弾が飛んできて、弟を自分の背中で亡くした体験を持っています。
小さい頃から沖縄の学校教育では、遠足の度にひめゆりの塔を見学しに行って、小さい頃から死体の写真とかを見ながら、戦争について平和についてということを詳しく学んでいて、6年位前に岡山に来て、他のお母さん方や他の方と話をしたときに、そういう教育を受けていないということを聞いたときには驚きました。それほど教育というのは違っているのですね。
最近だと戦争が起きたりテロが起きたりテレビで凄まじい戦争の様子が見えるけど、私は戦争の様子を流しているときに、そのときに亡くなった方よりも、そのときに目の前で親を亡くした子どもたちのことや、その後の生活が心配になって涙しました。そういった辺りを、現地に行った方たちにお話しを伺えるということなので、詳しく聞きたいです。
沖縄でも戦争が終わった後にすごい病気とかが流行ったようですが、その辺のことを聞きたいです。
平松:こんにちは。今、戦争体験者という紹介を戴きましたが実は戦争体験者というのは鉄砲の玉が飛んでくるところで命がけで戦った、だから「戦争はだめよ」と「平和が良いよ」というのが本当は戦争体験者だと思うのですが、私はそこへいくと戦争体験者という資格が実はない。紅顔多感な17歳で、当時七つボタンに憧れて予科練に行きました。17歳から19歳まで2年間予科練にいて、本当に日本を愛し、親族を愛し、親を愛し、天皇陛下のためにという2年間を過ごしていました。ただそれだけのことで、ここに書いていただいている戦争体験者という身分では、実はありません。今日は若い素晴らしい先生方の中で八十路を迎えた老人が一人お仲間入りをさせていただいております。
私は北海道の貧農の生まれですが、2年間の間に俺より先に逝くやつはいけん、俺らは人より先に死ぬんだという教育をしっかりと受けました。それが当時の教育方法でした。今日の題が子どもたちに未来の平和をということですが、私なりの気持ちを申し上げるならば、今の世相の中で本当に子どものしつけが出来ているんだろうか、本当に誰が子どもをしつけるのかと、しつけということの中には我慢などもあります。そうしたものの教育が家庭で出来るのか。あるいは学校でやっていただいているのか、学校でしつけをしようとすれば、少し厳しい話をすると親が「おい、俺のところの子どもをいじめるな」という話になるらしい。しかし、それでいいのか?これから国を操っていただくというか指導していただく先生方が今日はいらっしゃるので、まず子どもたちには日本人であるという誇りを植えつけてもらいたいなと。そこから、国を愛する心というのも出来るだろう。そして本当に「しつけ」これが家庭でもやり、学校でもやり、ということでなければ今の親殺し子殺しが生まれてくる。まだ酷くなるでしょ。そんな世の中になってほしくない。私は教育の問題について、先生方にもお願いをしたいです。
平和でなくてはならない。だけど甘えた平和ではいけない。平和の中にも緊張さがなければいけない。という風に考えているのが、あの国民を守り生命を守り財産を守る、あの防衛省に不祥事が起きる。これも、平和であればいいというだけで平和に緊張さがないということを感じながら先生方にもぜひ、これからの教育問題についてよろしくお願いをしたい。以上でございます。
中山:現実に災害にあったいろんな現場で、NGOで懸命に働いていらっしゃる菅波さんのお話をお聞きしたいですが、その前に私が戦争体験で感じたことを一言だけ。尾川さんのことでお返事になればと思いますので。
私も戦争の体験があり、火の中、空襲の中を逃げました。弟の手を引いていきました。学徒動員の時には爆弾攻撃、至近弾に吹っ飛ばされました。こうした戦争の怖さは体験しています。それは一部のことです。本当にこんなことが戦争なのかと思ったことで、忘れられないことが、戦争というのは兵隊さん同士が戦場で戦うのが戦争だろうということではありません。現代戦争、近代戦争というのは何の罪もないお年寄り、女の方、子どもさん、そういう人がみじめに殺されるんです。死んでいったんです。現実に目の前でそれを見たんです。小さな子どもさん、無抵抗な人たちが爆弾の中で火の中で。原子爆弾の広島、長崎。私の友人が広島に帰って、そして帰ってこなかった。どうなったんだろうと、広島の原爆のあとを見ました。無残な、茫漠たる状況。そこで10何万の人が亡くなって、その中に軍人がどれだけいたか、ほとんどいない。まったく普通の市民の人たちが犠牲になった。それが戦争の現実だという風に思わされています。菅波さんあたりは、色んな紛争、色んな犠牲の中で、そういう風な方たちのことに一生懸命になってらっしゃるんじゃないかと思うんですけれども。よろしくお願いいたします。
菅波:私は昭和21年の12月に生まれたので戦争のことはよくわからないんですけど、負けた後に食べるものがないということでヤギの乳を飲んだりして、色んなあんまりよくない経験をしたのですが、もっと酷い経験をしていたのがアフガニスタンの難民、隣にいる谷合先生とも一緒にやってきました。現在紛争が続いていますが、50年間にわたる紛争の中で、たくさんの難民は隣のパキスタンに逃げています。
その難民の子どもたちを見まして大きな疑問が一つ出たんですね。日本の小学生・中学生は自殺をしますが、難民の子どもは自殺しません。で、私たちはこうした無い無い尽くしの難民の子どもたちがなぜ自殺せずに、もっと豊かな日本の子どもの方が自殺をするのかと。その究極の一点はどこなのかということを考えさせられました。
よくテレビで難民キャンプに行き、難民の子どもに「あなたは将来何になりたいですか?」というと、大体二つの答えしか出てきません。一つは、私は将来お医者さんとか看護婦さんになって人を治したいと言う。もう一つは、私は将来学校の先生になって子どもたちに教えてあげたい。
私たちは希望と夢ということを峻別しなきゃならないと思います。夢というのは現実の裏返し、そして希望というのは絶望の反対なんです。難民の子どもたちは過酷な現実の中で、風邪を引いて肺炎で死ぬとか、下痢をこじらして脱水症状で死ぬとか、こういった過酷な現実の中で、医療を受けられません。だから自分が大きくなったら、お医者さん、看護婦さんになって人を治してあげたいとこう言うんです。そして子どもは知的好奇心が強いですけども勉強は出来ないから、私が大きくなったらみんなに教えてあげたい、とこういうことを言います。で、おとなは自殺します。大人が自殺するときは絶望状況に陥ったときです。
じゃあ、人間は過酷な現実の中でも絶望状況に陥らないのか。あるいは豊かな中でどうして絶望状態に陥るのか。こういったことを考えますと、難民キャンプで大人の難民の人たちが一番恐れていることが一つあります。それは、当然私たち医療チームが行きますから、医療を欲しがりますけども、彼らが一番恐れているのは私たちが難民キャンプから引き上げることなんですね。それはどういうことかというと、もし外部の人たちが難民キャンプから引き上げたとき、自分たちは見放される、世界から孤立する。こういったときに彼らは絶望感を持ちますから、彼らは私たちが何をするということではなくて、彼らを見放さない、という最後の一点のところを私たちに期待します。
で、難民の子どもがなぜ自殺しないのかというところに参ります。そして日本の子どもたちはなぜ自殺するのか。私はたぶん尾川さんの5歳と3歳の子どもさんは自殺をしないだろうと思います。それは、貴重な、おばあさんの経験なんかによって、たぶん命がいかに尊いかということを通じまして、尾川さんはたぶんどんなことが親と子どもの間にあっても 決して親として子どもさんを見放さないという点は、堅く守られると思うんですけれども、こうやって人から見放されていないという確信を持った人は決して絶望して自殺しない。これがアフガニスタンで私が経験したことです。
そして隣にいる谷合さんもそういうところに行ってくれましたけれども、谷合さんはアムダのスタッフとして国会議員になりましたけれども、私は一つだけ彼に条件を付けました。それは、国民の存亡の危機に瀕したときは、絶対に最前線に立ってほしいということを彼に言っております。
谷合:大学を卒業してアムダに就職。例えばアフリカのアングラで紛争が起きた、9.11の一ヵ月後アフガンに空爆が始まったといったときに必ずアムダが救援に入り、岡山から派遣するのですが、「誰か行く者は?」となったときに必ず菅波代表の目が合って、「君が一番若いから行って来い」となって行ってきました。
アフガンの難民キャンプで少年が白血病になったとき、自分が医療支援プロジェクト責任者で、パキスタンの大都市カラチの大きな病院に行き手術をする(=保険がないので何百万円かかる)か、アフガンに歩いて帰る(=帰り着くのは困難)ことが選択肢だった。アムダは手術費用までは出せないので、本人は「家族のいるアフガンに帰りたい」というので、スタッフの輸血をして帰りました。しかし途中で帰れず亡くなりました。
こういう辛い選択肢を迫られることはよくあり、日本に帰って難民そのものをなくすには?という考えになり、NGOから政治の世界に飛び込みました。イラクやアフガンに行ったが、谷口報道官が話されたような日本が平和構築の仕事をするときに、技術だけでも熱意だけでもダメ。広島で平和構築をする人材をしっかり育成する場が必要と寺子屋事業が昨年9月から始まった。アジア各国の将来平和構築に携わりたいという人の研修していろんな国際機関で働く。私は国会でも人材育成が大事と度々発言してきました。
自分のポリシーとして、「人の不幸の上に自分の幸福を築かない」というのが平和をつくることに大事なことではないかと思っています。戦争だけでなくいろんな局面に言えます。いじめの問題もです。国民の存亡の危機になったときには最前線に立てと菅波代表に言われましたが、国民ではないが、スマトラの大地震で国会議員で真っ先に現地に行き、岡山で学んだことを実践しました。
中山:1982年マザーテレサが日本に来たときに「このことだけで私は働いていた」と言いました。私の周りの人が、私と同じように大事にするんだ、そういうことのためだけに私は動いていると。「そういうことだけしかしていない」と言われたことが耳から離れません。先生方がお話されていることを聞いて、そのことばが新鮮に蘇ってきました。お話を聞きながら、そういうことでやってらっしゃるに違いないと思いました。
橋本先生も国際的に結核の問題に取り組んでおられるということなので、お話ください。
橋本:戦争は大変悲惨で弱い立場の方々が真っ先に犠牲になるものと思います。第二次世界大戦のときに対馬丸事件がありました。沖縄からの学童疎開で1300人ほどの人が乗っていて、本土に向かっている途中で撃沈された1000人以上が遭難した事件です。子どもの遭難率は9割以上。兵隊さん、船員、おとなは半分くらい助かっています。いざこういう危機が訪れたときに子どもたちが真っ先に犠牲になっていることをまさに表しています。沖縄に行くことがあれば、ひめゆりの塔、平和記念館もありますが、那覇に対馬丸記念館ができたので、お越しください。
今残念ながら平和じゃない地域国々があり、それに対して何が出来るのか、菅波先生が言われるように、見放すのでなく、見つめ、守っていかなければいけない。いろんなことが出来ると思いますが、私は「結核のことを考えよう」ということを始めました。日本では減り、昔のことのようですが、世界的には3分の1、20億人が保菌・感染者です。未だに年間900万人が発病して160万人(1分に3人)が亡くなっています。大半がアジア、アフリカの貧困の世界の中で、21世紀になってなお広がる現実。それが地域社会の不安定につながり、戦争につながる、また不幸の選択が待っている、そうした面があると思います。
結核は日本でも対策が要るが、戦後の時代から考えると減らすことが出来ました。それはただ医師ががんばっただけでなく、社会全体に保健強化があり、或いは家庭婦人の会みたいなものがいろんな支援したり、社会的な技術、日本の保健システムが有効だったからでしょう。
谷口副報道官が話されたように、洞爺湖サミットがあり、アフリカの開発会議があり、そうしたところでぜひ日本がリーダーシップをとってマラリア、エイズなどの感染症も含めて病気に対して対策をしたり、がんばって撲滅していこうという取り組みをして行く。そうしたことにぜひ取り組んでいきたい。それで「ストップ結核パートナーシップ」という議員連盟を昨年末団体としても立ち上げNPO法人申請中です。谷合先生にも柚木先生にも入って戴いています。
谷口副報道官が言われたように平和は作っていくもの、日本はそうした役割をしなければいけません。その中のひとつとして、戦後、結核などの病気も流行った中でここまで来た日本。世界からの期待も熱い、しっかりと進めていけるように取り組んでいきたいです。
中山:厚労省を専門にされている柚木さん、お話ください。
柚木:今までの話を聞いて改めて感じるところがありました。国会議員になって先ずここに行かないといけないと思ったところが、世界唯一の被爆地の広島・長崎と国内唯一の本土決戦が行われた沖縄です。私たち政治に関わる人間が、戦争というのはいずれにしろ政治が決断して行われるものだから、そういう思いを私自身がしっかりと肝に銘じていかなくてはならないという思いがありました。
沖縄では、平和外交の先駆けと言われる国会議員の糸数慶子さんにご案内を戴いて、ガマや平和記念館、ひめゆりの塔にも行きました。私たちは戦争を知らない世代です。おじいちゃんがシベリアに抑留されている時期があったり、祖母は私の母を背負ってとにかく逃げまどった。そういう話を聞くと、知らないからこそ想像力などいろんな部分を研ぎ澄ましてしっかりと取り組んでいかなければならないという思いがします。
平松さんから日本人であることの誇りをというお話がありましたが、そのとおりと思います。そして愛国心にとどまらずに更にそれを進めて、まさに世界連邦運動が取り組んでいる全世界を愛するという思いに発展させるための教育が大事と感じます。
菅波さんのお話にあった自殺、医療、そのあたりは私の専門分野に関わっています。私は医療というのは、紛争地における即命に直結するアムダの取り組みはすばらしいと思いますが、日本国内において、尾川さんや平松さんが直面する子育て、高齢者の医療制度など、医療が誰も安心して受けられるように、負担割合なども考えられないといいけません。出産が地域によってはなかなか安心してできないエリアがあったり、医療事故が増えたり医師不足の問題があり さらにはハンディキャップのある方の制度の問題があったり、高齢者医療制度についてはまさに戦後日本を支えてこられた皆さんが安心できるのかということが大きな問題になっています。一つ一つが厳しい財政状況ではありますが、日本に生まれて、誰もが子育てが出来、働け、老後が送れるという仕組みを作っていくには、今の状況を少し軌道修正をする必要があるかと思います。
自殺については、夢や希望を持って生きられる社会なのか?ある有名な日本の小説家が「この国には何でもある。だけど希望だけが無い。」というフレーズを書いており、なるほどと思いました。希望というのが何かぽっかりと穴があるという感覚があるとしたら、政治もしっかりとメッセージを発信していかないといけません。
今若者にはなかなか正社員が見付からないなどの問題があります。就労支援や子育てと仕事が両立する、努力をすれば報われ正当に評価される社会を作る必要があります。一億総中流社会を、没個性というのでなく、誰もが頑張れば報われる社会に。これを国内のみならず世界に向けて、まさに世界連邦運動といった形の取り組みを続けて、政治という面でしっかり取り組む必要があると思いました。
尾川:父方の祖母が対馬丸に乗り遅れて、別の疎開船に乗ったおかげで私が生まれました。偶然の重なり合いの中で子どもは生まれます。子どもたちがこれからどう育つか、子育てに何が正しいかわかりません。殺人をして始めて「まちがってた」と言われるだけです。みんな迷いながら迷いながら子育てをしています。自分に自信がない、責任が持てないと深く考える人は子どもを産まない人生を選んでいくのかなあと思います。
子どもが熱を出すと、救急病院に行くかどうかすら迷います。重大な病気かもしれない、死ぬかもしれない、後遺症が残るかもしれない、自分の判断ひとつでこの子の人生を大きく変えるかもしれないと迷います。相談するところである「小児医療救急センター」に問い合わせたところ、こんなに医療が充実しているのに電話口に当直医が出ないことがあり、何時間も電話するのに出てくれず、近くの救急病院に相談したことがあります。もっと大変な子どもが待ってたらいけないとか、迷って迷って迷いばかりの中で育児をしています。行政はいろいろしてくれますが、昔はおじいちゃんやおばあちゃん、近所の人がアドバイスをしてくれていたのだと思います。この時代の中で、何をしたら良いのか?何をしてもらったらよいのか?いつも考えています。
谷合さんの「人の不幸の上に自分の幸福を築かない」という言葉がすごく耳に響きました。憲法9条の問題もそうですが、こんな平和な日本なのに、他の国に平和を奪われたらという恐怖の中で、日本に軍事力が必要じゃないかということを耳にします。でも、平和は武器を捨ててからしか作れない、ということを私は思っています。
谷口:1.アフガンで身体張っているのは日本人ではありません。日本の大使館はアフガンにありますが、彼らは外は危ないので外に一歩も出ないで大使館の中で朝昼晩ご飯を食べています。しかし危ない中で市民・文民がアフガンの何箇所にもちらばって、少なくともここだけは平和にと頑張っています。市民だけでは動けないので必ず軍隊と一緒に行動します。PRTと言いますが、韓国やトルコもやっているが日本だけはやっていません。アフガニスタンに平和を作ろうと、外務省は一生懸命国際会議をやり、みんなの意見を集約し、ODAを出していますが、「お前体張ってやっていないじゃないか」と言われたら返す言葉がない。
有名な遺産バーミヤンの石窟をタリバンが破壊しましたが、修復しているのは東京文化財研究所という日本の研究所であり、この辺りは治安が非常に悪くなっていますが、「俺たちは残る」という外国の研究者もいます。こういう状況を変えていきたいと思います。
2.貧しい、病気になる、水も無いというところで殺し合うというのはもっとも悲惨です。そういうところで将来のテロリストを育てないためにはどうすれば良いのか?愛情の反対は無関心というのは、マザーテレサが言ったと思いますが、こういう状況でどうやったら将来に希望を持たせることが出来るのか?それは、母子手帳ではないでしょうか?母子手帳は、生まれた瞬間から身長・体重、いつワクチンをしたとか、子どもの成長を手で書く、その行為そのものが母性愛。将来の子どもが元気で大きくなってほしいと願う母性愛の表現。はぐくまれて育ったこどもにテロリストは生まれないのではないか、成長を書き付けた母親が自爆テロの犯人になって欲しいと思わないのではないか。それでパレスチナで母子手帳を広めている。アフリカにもこれから。着想はインドネシアの医師です。「インドネシアにもこれがほしい」と言われて初めて日本の母子手帳の効用に気づかされました。
3.自衛隊をなんとか平和づくりに関わらせてほしいと思います。日本の自衛隊は世界一です。士気が高く、自立しており、水も食料も医療も全部自分でまかなえます。自衛隊でなければできないことがあります。
菅波:1998年互いに40年間殺し合いをしていたタリバンと北部同盟の代表が岡山に来ました。ジュネーブでなくこの岡山に来ました。難民キャンプで死ぬ子どもたちの30%がワクチンをしていたら助かっていたので、全てのアフガンの子どもがワクチンを終えるまで停戦をしませんか?とアムダがタリバンと北部同盟の双方に呼びかけ、停戦の署名調印に来てくれました。おとなにとって希望とは、子どもです。「平和を作って子どものためにしてあげよう」と言いますが、「備えあれば憂いなし」という考え方とよく似ています。憂いがあるから備えをします。どんなに殺し合ってるおとなでも、次代を担う自分の子どもがいなくなるのは一番の絶望です。そういった意味で逆転の発想で、本当に紛争をやめさせたいのであるなら、双方にとって希望であり、それが失われると絶望に陥るという子どもに対していろんなことをすることによって、紛争が止むというヒント、「1998年にワクチン停戦でタリバンと北部同盟がこの岡山に来た」という事実の中で希望を見出します。子どもとおとな、双方向のことだと思います。
中山:それぞれ一生懸命、平和のため、子どもの未来のために努力されていることを聞かせていただいて
世界連邦運動として一つだけ申し上げたい。昨年ジュネーブの世界大会に行きましたが、日本は本当に信頼されていると実感しました。原爆が二つも落とされ、日本が戦争を仕掛ける国ではないと、日本の発言が非常に重く衆議院で3年前に世界連邦国会決議が出ましたが、世界の国が日本に倣って決議をしようということがスムースに採択されました。
日本の教育の中で、教科書の中で、1ページでも若い人が世界連邦の世の字も知らない。教科書に書いていないことは受験に出ないし勉強しない。そのため世界連邦のことを知らない。このようなためにこういう会場が超満員になって、入場をお断りしないといけないそういうことを積極的に前向きに考えていただきたいなと思います。
菅波:日本人はなぜ平和を愛してるのかということをザンビアで話をしたときに、憲法9条の趣旨はいくら説明しても理解されませんでした。戦後50年経ちますが同じような憲法を作った国はありません。憲法9条はわかりやすいが難しいです。ザンビアの人が理解してくれたのは、武器非輸出3原則。自分たちは武器を輸出しない、日本人はよその国の血を流して腹を満たしませんよと言うと日本人が本当に平和を愛してるとわかってくれました。
谷合:具体的な取り組みとしては、講演の中でICC国際刑事裁判所の話がありましたが、武器貿易条約というのがあって、原爆級、メガトン級の兵器はそうそうあるものではなく、アフリカや中東で問題になっているのは小型武器、通常兵器です。管理されていない、いわゆる非合法に出回ってる武器もたくさんあり、子どもたちが犠牲になっています。小型武器は核兵器に相当するとアナン前国連事務総長も言われた。アメリカ、ロシア、中国といった武器輸出国をどのように巻き込むか、日本がイニシアチブをとれるようにがんばっていきたいと決意しました。
橋本:対馬丸の話は、戦争があればたった2~3発の魚雷でみんな死んでしまうということです。日本が平和に貢献するのになぜ結核か?薬を6ヶ月投与すれば治る。1600円、月300円以下で一人助かる。ODAをする必要ではないという人もいますが、それだけで助かる人がどれだけいるかということ。日本が世界の平和を作っていく、もちろん憲法の話もそう、武器の話もそう。更に健康で豊かな生活をすることに貢献をしていかなければならないと考えます。
柚木:母子手帳のお話があったが素晴らしい取り組みと思います。日本の産科救急の問題は、検診すら受けない方、受けられない方が増えている実態があります。それによって突然の救急搬送があります。きょうは一人ひとりが思いを新たにする機会となったと思います。ケネディは、「国が私たちに何をしてくれるか、ではなく、私たちが国に対して何が出来るのかを問いたい」と言いましたが、これを世界に置き換えると今日の意味が深まるのではないかと思います。
尾川:倉敷市は妊婦無料検診は6回、岡山市は2回。隣の市なのに4回も差があります。次に産むときは倉敷に引越しをしたい。お金もありがたいですがそういう支援がありがたいです。しかし今も十分と思うくらい、日本は平和で福祉がしっかりしていてありがたい国に生まれたと思います。それが世界につながるといいなと思います。
柚木:倉敷は全国でも医療が恵まれており大きな病院が多く存在しています。だから県北や県西から救急車が入ってきます。そういった地域の人たちが日本全国に4割あり深刻です。世界のどこに住んでも安心して出産・子育てができるようにするのは政治家の役割と思っています。
中山:「平和な未来を子どもたちに」、こういう豊かな安心な社会を築くためにご努力が益々実ることを心から願っていますが、基本にあるのは、戦乱戦禍の中に巻き込まれないためにどういうことをやっていかなければいけないのか?を、国政に携わる先生方に頑張っていただいて、どういう制度、政策をすれば良いのか? を取り組んで戴きますようお願いします。
登壇の先生方はすべて世界連邦の国会委員会に参加してくださっていますが、国会の先生方全員が世界連邦運動に参加していただけるようにお誘いくださるようお願いします。
これが世界連邦のひとつの姿だろうなと実感できる、アジアにおいて日本だけでなく世界的に広がってそして、日本もそのメンバーの一員として機能し、発言し、やっていけるような形に一日も早く実現するよう希望を持ってまいりましょう。
日本では3万人を超える人が自殺をしています。その十倍の30万人の自殺予備軍がいます。日本は平和建設を目指して、希望あふれる国という形で進んでいけるはずです。そしてそういう人たちのために豊かな国であるように、子どもたちのために、そういう意味で平和な未来を残していけるように願いたいです。益々のご活躍をお祈りしながら、皆様方とともに希望を持って終えることができ、感謝して終わります。